Lingua Inevitabilis

くいっと一文

Twitterのユーザー名とO`clockおじさん

皆様こんばんは。

夏休みが終わり、再び大自然にかこまれた素晴らしい学校に戻って日々精進している、ないんおくろっくです。

今回はふと思いだした、よく聞かれる私の「Twitterのユーザー名の由来」について話したいと思います。長くなりますが少々お付き合いをば。

 

事の始まりは年末も差し迫る11月半ばあたりの事。

私の通っていた中学校では合唱コンクールなるモノを毎年この時期に執り行っておりました。コンクールは市の劇場を借りて行うため、劇場の担当者が開錠してくれるまで中には入る事ができません。

しかし学校側は「朝の空き時間で本番前の練習ができる」という理由を付けて、7時過ぎまでに(劇場自体は9時頃に開錠する)生徒を集めて外で待機させていました。

朝早く集められ、長時間待たされおまけに温暖な気候で外は季節に似合わない暑さでまともに練習をできるはずもないので、そうなると中坊たちは友人達とだべりはじめます。

暑さに辟易してしまった僕も例に外れず友達と「ぐっさんモノマネ対決」なるものを初めていました。するとそこに見知らぬヒゲの豪快な男性が1人、僕らに歩み寄ってきたのです。顔から察するに60歳はゆうに超えている方でした。

その御仁、何を言い出したかと思えば

 

「俺はホームレスなんだ、ここら辺の歴史知ってる?」

 

と唐突に聞いてきて「知らない」と返答するほどの間もなく土地の沿革を語り始めました。口が達者な方でした。れをぼーっと聞いていると、また急に

 

「〇〇銀行は何時から開くか知ってる?」

 

と問いかけてこられましたので「知らぬ」と答えたらば

 

「9O`clock!9O`clock!」

 

と指をなぜか4本だけ立ててルー大柴を彷彿とさせる発音で英語で銀行の開店時間をアピール、そのまま去っていきました。

 

それ以来、私と友人間で伝説となったあのおじさんを「9O`clockおじさん」と呼称し彼の意志を受け継いでいこうという取り決めをなしました。

そして私が高専生になり、Twitterを始めるにあたり「9O`clock」を踏襲したのです。

 

ちょっとしたような関わりでも、貴方や貴方の知人の人生において多大なる影響を与えてくれる人物というのは案外、劇場横の公園で寝泊まりをしているのかもしれません。

 

長い拙文に付き合ってくださり、ありがとうございました。

また次回。