Lingua Inevitabilis

くいっと一文

死の闘争 -映画『タクシー運転手 ~約束は海を越えて~』-

必死に何かを守ったことはあるだろうか。死を覚悟して何か強大なものに立ち向かったことはあるだろうか。

 

1960年代~1980年代くらいまでは、世界的に民衆が興奮と勢いの波に乗って国家に立ち向かうような空気に満ちていた。ベトナム反戦運動や、プラハの春。日本でも学生運動が盛んにおこなわれていた時代だった。

 

韓国でも朝鮮戦争から続く政治的混乱で、軍事独裁政権の時代が続き国民と国家権力が衝突する時代だった。そんななかで起こっていたのが光州事件で、この映画はこの事件の実話をベースにしている。

 

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1980年の韓国。ソウルで11歳の娘を一人で育てながらタクシー運転手をしているマンソプ(ソン・ガンホ)は、大金に目がくらみドイツ人記者ピーター(トーマス・クレッチマン)を乗せて光州に向かう。しかしすでに光州の入り口には軍の検問。ソウルへ引き返そうとするがピーターが「光州にいかないと金は払わない」という。どうにかマンソプは機転を利かせ見事に検問をくぐり抜け、二人は光州に入る。ピーターは「危険だからソウルに戻ろう」と言うマンソプの言葉を聞かず、手持ちのカメラで撮影を始める。

 

お涙頂戴系の映画は苦手で、邦題のサブタイトルを見た時に少し敬遠していたが全然そんなことはなった。当時の光州で実際に起きていたことが、海外や、国内でさえも知られておらず、連絡手段が(軍によって)遮断された都市に、ドイツ人が単身乗り込んでいく。その緊張感がずっと維持されたままストーリーが進んでいくドラマチックな作品だ。

すさまじい緩急で、光州に入ってからずっとどの場面でも見ていてハラハラするのだ。

 

この映画でマンソプ演じるソン・ガンホは韓国で最も有名な俳優で本当に演技がうまい。『グエムル -漢江の怪物-』や今作のようによく笑いよく不機嫌になる映画の韓国人らしさが前面に出せたり、『スノーピアサー』や『パラサイト -半地下の家族-』のように何を考えているのかわからないつかめないキャラクターも出せる。かつどの役でも何かを起こしそうな激情を心に秘めているのが垣間見える。

言葉の通じないドイツ人のピーターとの会話がズレつつもうまくいってしまっている二人の行動はあまりに危なくて綱渡り的要素を感じ、それもこの映画の緊張感を醸し出すのに役立っているのだろうと思う。

加えて光州とそれ以外の場所では、映像の印象も異なって戒厳令下の恐ろしい雰囲気と対比させられる。

 

必死に死線を潜り抜けつつピーターとマンソプの二人は光州を見て何を想っていたのか。

 

僕たちは、何かを必死に見ようとしているか。