何を選ぶか -映画『悪の偶像』-
こんにちは。
すっかり夏も真っ盛りで暑いですね。とういうか暑さヤベぇだろなんだよこれ。
でも日差しが強くて肌が焼けても、白シャツが汗ばんでも、炎天下の中自転車をこいで行くくらい好きなのが映画館です。
先日、公開最終日に韓国映画『悪の偶像(우상 -IDOL-)』を観てきました。
数日前にはAmazon primeで『新しき世界(신세계)』や、『新感染 -ファイナルエクスプレス-(부산행)』なども観ました。
しかし映画館で観た『悪の偶像』は、今までの韓国映画の中でも最高レベルにぶっとんでいて、恐ろしいほど表現力にあふれていました。
(上映中、集中しすぎたのか作品の加速度に殴られたのか、途中から頭痛がしてきました。)
今作はベルリン国際映画祭に出品し話題になっていました。加えて、監督のイ・スジン(이수진)はデビュー作の『ハン・ゴンジュ 17歳の涙(한공주)』からすでに知名度を上げている期待の新星です。
カンヌのパルムドール受賞でも話題になったポン・ジュノ監督。若き天才として名をあげるナ・ホンジン監督。韓国では、ダークスリラーやノワールといった分野の映画がホットな作品として昇華しています。この『悪の偶像』も韓国の階級社会を意識したハードな作品に仕上がっています。
”勝ち組”国会議員と”底辺”の労働者
本作のあらすじはこうです。
市議会議員のミョンフェ(ハン・ソッキュ/한석규)は、来る知事選挙での勝利が見込まれているエリート政治家。しかしある夜、息子のヨハンが飲酒運転で人をひき殺してしまう。ミョンフェは自らのイメージを守るため、遺体を遺棄して事故車を処分し事故のもみ消しを行う。だがその後、現場に居合わせた被害者の新妻リョナ(チョン・ウヒ/천우희)の行方がわからなくなっていることが判明。事実が明るみに出ることを恐れるミョンフェは、リョナの行方を追う。一方、被害者の父親であるジュンシク(ソル・ギョング/설경구)も事故の目撃者であるはずのリョナをなんとかして捜し出そうとする。それぞれのルートでリョナを追うミョンヒとジュンシクだが、次第に一線を越えた闇に足を踏み入れていく...
今作の主要人物は、権力者である政治家のミョンフェと労働者のジュンシク。加えて、韓国において市民権(人権)のない不法入国の朝鮮族1の女性であるリョナ。この三人です。
圧倒的に身分に差がある三人が一つの事件を機に交わっていく様は非常に不思。そして、同じノワールでもヤクザ社会を描く『新しき世界』やアウトローばかりの『哀しき獣』とはまた異なった空気感が醸成されています。
一番怖いのは誰
この映画は、前半と後半でまったく雰囲気が異質です。前半は隠ぺいしようとするミョンフェと事件を探るジュンシクのそれぞれの行動を描き、お互いがそれぞれに事件を隠す・探るを必死に行います。
社会で上位にいる側(ミョンフェ)は権力を持っているので、様々な手段で事件をもみ消すそうとする部分が印象的です。
しかし中盤以降、リョナの登場から一気に狂った恐怖と無慈悲が加速していきます。この映画では、リョナという最下層にいる存在が権力を持つミョンフェにとって最も怖い存在になるところが強いアクセントだと思います。
前半部で描かれるミョンフェとジュンシクの焦りがもたらす選択の極端さな。それを消し飛ばしてしまうくらいの恐ろしさが、リョナというキャラの中には秘められています。
リョナを演じているチョン・ウヒさんは、『哭声』にも出演しています。この作品においても予測ができない、何者かわからないキャラクターを演じきっていて本当に演技がうまいなと改めて感動しました。
タイトルが示すもの
タイトルの「偶像」という言葉は監督の言う
個人の叶えたい夢や信念は、盲目的に追い求め過ぎてしまうと全く異なるものへと変質することがあると私は思っています。
という思いを反映したものです。2
作中の人物たちが、自分の求めるものを渇望する様は映画をみていて十分に伝わってきて、それがキーとなって物語が動くのが表現されていたと思います。あまりに何かを求めて人間がどのように変化していくか、業の深さにハマるかを表現するタイトルだと思います。
劇中歌
劇中でミサのシーンで流れ、エンディングとしても使われているのは賛歌である「Agnus Dei」です。ラテン語で「神の子羊」という意味で、表すところは人間の贖罪をしたイエスらしいです。
あまりに悲しい響きが耳に残りすぎて身震いします。
神学や宗教学には精通していないので、この映画で監督がこの歌を用いた理由が明確にくみ取ることができませんが考えるに、ミョンフェが抱える「罪を犯した」という不安を解消してほしいと願う心理状態を表したのかなと思いました。
神に対してイエスがその身をささげて人間の罪を贖ってくれることと連想して、ミョンフェもだれかに罪を贖ってもらいたかったように思います。
(wikiなどを参考にして推測したので信じないでください)
考えよう
この映画では韓国社会に根付く犯罪や格差問題を(日本人なので)抜きにして考えれば、偶像というテーマについて深く考えなければならないと思います。
日々大量の情報が流入してくる環境では、その情報の取捨選択が求められます。「なりたい」や「こうであってほしい」という自己や他者に対する欲求は、情報の選別過程において「見たいものしか信じない」という意識混濁をもたらす毒になるとこの映画を見て感じました。
生き抜く中で出会うものに疑念と思慮分別を持たなければならないのは、とても難しいことですが、映画を見ればその努力を怠ることがいかに怖いかが見えるかもしれません。