たった数文字で俺はmacOSを殺した
夏の終わり、突然の別れ、うんちぶり
全力で助けるから
9月11日 土曜日 21:30
VScodeの挙動がおかしい、開いても激重でデバッガもあんまりよく動かない。終了させても動いてバッテリーの電源をめちゃめちゃ食っている。
一度アンインストールしようと方法をみて、ターミナルから実行すると一度失敗した。もう一度同じスクリプトで実行しようとした矢先、キー操作を誤りコマンドの半分以上を消してしまいその状態で実行した。
瞬間、ターミナルの後ろに映るデスクトップにおいていた、無関係のはずの様々なディレクトリやファイルが一瞬にして全て消えた。「あっ」と思わず声絵が出てしまった。
9月11日 土曜日 21:36 殺しちゃった...ってコト...!?
デスクトップにおいていたファイル達が跡形もなく消えた。ターミナルから見てみると、かなり上位層のディレクトリや今までに設定したパスなども消えていた。
う~ん????
PCの挙動が怪しい。完全にやった。
9月11日 土曜日 21:40 tasukete, please
友人に泣きつく。macのTime Machineの機能をここで初めて知るが、つまりそれは設定していないということだったので有効化されておらず終わり。
なんか設定を開くとキーチェーンの認証に失敗したとか出る。ヤバそう、ウケる。
9月11日 土曜日 22:10 みんな、俺のせいで.....
復元ソフトEase USを導入。何が消えたのか確認するとともに、復元を試みる。
なーーーーーーーーんかめっちゃ消してた。良くない...良くなくない.....??
9月11日 土曜日 22:25 復元ソフトってよォ~~。復元できるんじゃあねぇのかああ~~~っ!?どういう事だ!どういう事だよッ!クソッ!フォルダにアクセスできませんってどういう事だッ!ナメやがってクソッ!クソッ!
通話&画面共有開始。復元ソフトが無料版だと2GBまでしか復元できないという縛りがあるため、命の選別が始まる。なんとか、usr/など動作に必須の大事なフォルダたちだけを選び2GBに収める。復元のために保存先としてフォルダ(ルートディレクトリ)を指定して復元しようとする。
ここで問題発生。ソフトからフォルダへのアクセス権が付与されない。設定から許可してもダメ。とういうかどこのフォルダに置こうとしてもアクセスできず復元ができない。ユーザーが死んでいるからかという話になり。新しく管理者権限のあるユーザーを別に作ってそこでも操作してみるがやっぱり復元できず。さっき消えたフォルダから察するにまぁあり得る。
復元ソフトには消去したファイルを探索して認識した後、一時的にソフト上にその結果を保存することができる機能がついているが、それも動作せず動作をやり直す度に探索せねばならず、辛いのきもちでいっぱいになる。
2時間ほど粘ったものの復元できず。この時、PCに復元できないためHDDに保存しようとしたがUSBtype-Cしかついていないmacは変換機をかまさなければならないのに、その変換器の行方が分からなくなりあきらめる。寝た。
9月12日 日曜日 14:30 9月6日 ご臨終です
次の日起床後、あっさり変換機が見つかり歓喜。これでうまくいくかと思いきや、macくんがHDDを認識してくれない。一応、マウントはしていて数日前にも使ったため、本来使えるはずだが、"df -h"と打ってもHDDが出てこず認識されていない。終わった。
最後の悪あがきもしたが、無理だった。
生物系大学生がmacBookを工場出荷時に戻してみた!
9月12日 日曜日 16:00 ふっかつのじゅもん
Apple公式の工場出荷時に戻す方法を参照しながら初期化作業。ボリュームを消去してついに再インストールda☆☆☆....と、思ったのもつかの間、ポップアップがでて「権限がない」だのどうのこうのとパーソナライズエラーが表示される。
心の中のギアッチョをどうにか抑え、Appleサポートに連絡し対処方法を教えてもらう。参照ページによると、"macを消去"を複数回行ってターミナルからインストーラを導入して行えとのこと。
ここでまた問題発生。家の回線が細いのかネットワーク設定か、公式に書かれているようにcurlコマンドでインストールしようとすると、
curl error (18) - transfer closed with outstanding read data remaining
をいただく。stack overflowをみてもネットワークに全く明るくないのでよくわからん。一応サポートに聞くと「インターネット環境を変えて、それでもだめそうならまた相談して」と言われたので、別の環境でやるが途切れる。
9月13~14日 13:00 頭おかしなるで
友人が、外部ディスクで起動可能なインストーラをつくってやってみと教えてくれる。
おそらくは早く直したいという心理がはたらき、存在しないインストーラを指定してインストーラディスクを作るコマンドをたたくなどポカをやらかしていた。お前、パソコンむいてないよ。
9月15日 水曜日 10:00 生まれついての『機械音痴』だから闘いに来たのだッ!
どうにかインストーラを作ってmacにつなぐも、インストーラが出てこない。はぁ~~~~~~~?????と思ったが、もう一度作り直すと認識された。戦いでは焦ってはダメ、負けを心の中で認めた時点で敗北、魂が抜かれるので。
認識されたのでやっとか...と思い、安堵してインストールを進めようとしたところ、OSをインストールするときに必ず出てくるはずのインストール先のボリューム(内臓ディスク)が選択肢に出てこない。何で?何で?何で?何で?何で?インストールできんやんけ...
9月15日 水曜日 15:00 何って...macOSを壊しただけだが?
もうAppleを頼るしかない。これまでに3回ほどAppleのサポートに連絡していたため、「インストールの失敗ですね」的なことを言われる。ただ毎回お相談内容は違うのでしっかり説明して対処してもらう。
今まではなかったのに、この時チャット中にネット接続が不安定になり3回ほど現状の説明をやり直した。しんど。
3人目で「かなり大変な状況のようなので専門の担当者に電話でつなぐわよ」とチャットサポートについに匙を投げられ、電話で対応してもらうことになった。(表現がネガティブに聞こえるかもしれないがこれはAppleは悪くない、悪いのは俺)
Appleサポートの手に負えなかった男 pic.twitter.com/GNr4pFxan9
— 9O'clock (@9o_clock) 2021年9月15日
9月15日 水曜日 16:10 いい最終回だった
担当者と会話しながら、macを消去するプロセスを繰り返しとうとう内臓ボリュームがインストール先として現れた。先刻出会ったパーソナライズエラーにも出会わずインストールできそして....
一度死んだMac book pic.twitter.com/XA69d5DW0Q
— 9O'clock (@9o_clock) 2021年9月15日
復活!
これにて長い長い復旧までの道のりは終わったのです。ちゃんちゃん。
学んだこと
1. 俺みたいなやつはrm -rfを使ってはならん
そもそもこんな操作をしなければこうはならなかった。まだ研究室配属前で大したデータも入っていなかったから諦めもついたが、これが研究中や就職してからだったらと思うと震える。Linuxの勉強しましょうね...
2. バックアップとれ~~~~~?????
ちゃんとね、クラウドでも外部ディスクでもデータ保存や設定ファイルのスナップショットを残しておけば、仮にデータ消えてもすぐに復旧できるし環境構築を一からやらなくても済む。こちらもちゃんと勉強していきたい。
3. Appleのサポート超優しい
こんなマヌケでも復旧できるまで手伝ってくれたAppleサポートさんマジ神。わかりやすいし腰も低いしこちらが申し訳なかった。マニュアルも充実してるし、ありがとうの気持ちでいっぱいですね...
4. 助けてくれた友人ありがとう
分らないことがあるとTwitterのDMをついつい投げてしまうが、社会人で学生の俺と比べて忙しいのにも関わらず今回もめちゃめちゃ対応して教えてくれるので感謝しきれない。コマンドラインでの操作に慣れつつあるのは本当に彼のおかげ。ありがとうと言わせてくれ。
おわり
消えてしまうと本当にヤバいみたいなリスクファクターを抱えていたわけではない今、この状況になってめちゃめちゃいろんなエラーにあたることができた経験自体はよかったと思う。二度としないように自分では気を付けるが、周りで今後似たようなことがあれば次は俺が助ける側だぜ、みんな。
機械は女の子を扱うように、大事に扱いましょう。
何を選ぶか -映画『悪の偶像』-
こんにちは。
すっかり夏も真っ盛りで暑いですね。とういうか暑さヤベぇだろなんだよこれ。
でも日差しが強くて肌が焼けても、白シャツが汗ばんでも、炎天下の中自転車をこいで行くくらい好きなのが映画館です。
先日、公開最終日に韓国映画『悪の偶像(우상 -IDOL-)』を観てきました。
数日前にはAmazon primeで『新しき世界(신세계)』や、『新感染 -ファイナルエクスプレス-(부산행)』なども観ました。
しかし映画館で観た『悪の偶像』は、今までの韓国映画の中でも最高レベルにぶっとんでいて、恐ろしいほど表現力にあふれていました。
(上映中、集中しすぎたのか作品の加速度に殴られたのか、途中から頭痛がしてきました。)
今作はベルリン国際映画祭に出品し話題になっていました。加えて、監督のイ・スジン(이수진)はデビュー作の『ハン・ゴンジュ 17歳の涙(한공주)』からすでに知名度を上げている期待の新星です。
カンヌのパルムドール受賞でも話題になったポン・ジュノ監督。若き天才として名をあげるナ・ホンジン監督。韓国では、ダークスリラーやノワールといった分野の映画がホットな作品として昇華しています。この『悪の偶像』も韓国の階級社会を意識したハードな作品に仕上がっています。
”勝ち組”国会議員と”底辺”の労働者
本作のあらすじはこうです。
市議会議員のミョンフェ(ハン・ソッキュ/한석규)は、来る知事選挙での勝利が見込まれているエリート政治家。しかしある夜、息子のヨハンが飲酒運転で人をひき殺してしまう。ミョンフェは自らのイメージを守るため、遺体を遺棄して事故車を処分し事故のもみ消しを行う。だがその後、現場に居合わせた被害者の新妻リョナ(チョン・ウヒ/천우희)の行方がわからなくなっていることが判明。事実が明るみに出ることを恐れるミョンフェは、リョナの行方を追う。一方、被害者の父親であるジュンシク(ソル・ギョング/설경구)も事故の目撃者であるはずのリョナをなんとかして捜し出そうとする。それぞれのルートでリョナを追うミョンヒとジュンシクだが、次第に一線を越えた闇に足を踏み入れていく...
今作の主要人物は、権力者である政治家のミョンフェと労働者のジュンシク。加えて、韓国において市民権(人権)のない不法入国の朝鮮族1の女性であるリョナ。この三人です。
圧倒的に身分に差がある三人が一つの事件を機に交わっていく様は非常に不思。そして、同じノワールでもヤクザ社会を描く『新しき世界』やアウトローばかりの『哀しき獣』とはまた異なった空気感が醸成されています。
一番怖いのは誰
この映画は、前半と後半でまったく雰囲気が異質です。前半は隠ぺいしようとするミョンフェと事件を探るジュンシクのそれぞれの行動を描き、お互いがそれぞれに事件を隠す・探るを必死に行います。
社会で上位にいる側(ミョンフェ)は権力を持っているので、様々な手段で事件をもみ消すそうとする部分が印象的です。
しかし中盤以降、リョナの登場から一気に狂った恐怖と無慈悲が加速していきます。この映画では、リョナという最下層にいる存在が権力を持つミョンフェにとって最も怖い存在になるところが強いアクセントだと思います。
前半部で描かれるミョンフェとジュンシクの焦りがもたらす選択の極端さな。それを消し飛ばしてしまうくらいの恐ろしさが、リョナというキャラの中には秘められています。
リョナを演じているチョン・ウヒさんは、『哭声』にも出演しています。この作品においても予測ができない、何者かわからないキャラクターを演じきっていて本当に演技がうまいなと改めて感動しました。
タイトルが示すもの
タイトルの「偶像」という言葉は監督の言う
個人の叶えたい夢や信念は、盲目的に追い求め過ぎてしまうと全く異なるものへと変質することがあると私は思っています。
という思いを反映したものです。2
作中の人物たちが、自分の求めるものを渇望する様は映画をみていて十分に伝わってきて、それがキーとなって物語が動くのが表現されていたと思います。あまりに何かを求めて人間がどのように変化していくか、業の深さにハマるかを表現するタイトルだと思います。
劇中歌
劇中でミサのシーンで流れ、エンディングとしても使われているのは賛歌である「Agnus Dei」です。ラテン語で「神の子羊」という意味で、表すところは人間の贖罪をしたイエスらしいです。
あまりに悲しい響きが耳に残りすぎて身震いします。
神学や宗教学には精通していないので、この映画で監督がこの歌を用いた理由が明確にくみ取ることができませんが考えるに、ミョンフェが抱える「罪を犯した」という不安を解消してほしいと願う心理状態を表したのかなと思いました。
神に対してイエスがその身をささげて人間の罪を贖ってくれることと連想して、ミョンフェもだれかに罪を贖ってもらいたかったように思います。
(wikiなどを参考にして推測したので信じないでください)
考えよう
この映画では韓国社会に根付く犯罪や格差問題を(日本人なので)抜きにして考えれば、偶像というテーマについて深く考えなければならないと思います。
日々大量の情報が流入してくる環境では、その情報の取捨選択が求められます。「なりたい」や「こうであってほしい」という自己や他者に対する欲求は、情報の選別過程において「見たいものしか信じない」という意識混濁をもたらす毒になるとこの映画を見て感じました。
生き抜く中で出会うものに疑念と思慮分別を持たなければならないのは、とても難しいことですが、映画を見ればその努力を怠ることがいかに怖いかが見えるかもしれません。
死の闘争 -映画『タクシー運転手 ~約束は海を越えて~』-
必死に何かを守ったことはあるだろうか。死を覚悟して何か強大なものに立ち向かったことはあるだろうか。
1960年代~1980年代くらいまでは、世界的に民衆が興奮と勢いの波に乗って国家に立ち向かうような空気に満ちていた。ベトナム反戦運動や、プラハの春。日本でも学生運動が盛んにおこなわれていた時代だった。
韓国でも朝鮮戦争から続く政治的混乱で、軍事独裁政権の時代が続き国民と国家権力が衝突する時代だった。そんななかで起こっていたのが光州事件で、この映画はこの事件の実話をベースにしている。
1980年の韓国。ソウルで11歳の娘を一人で育てながらタクシー運転手をしているマンソプ(ソン・ガンホ)は、大金に目がくらみドイツ人記者ピーター(トーマス・クレッチマン)を乗せて光州に向かう。しかしすでに光州の入り口には軍の検問。ソウルへ引き返そうとするがピーターが「光州にいかないと金は払わない」という。どうにかマンソプは機転を利かせ見事に検問をくぐり抜け、二人は光州に入る。ピーターは「危険だからソウルに戻ろう」と言うマンソプの言葉を聞かず、手持ちのカメラで撮影を始める。
お涙頂戴系の映画は苦手で、邦題のサブタイトルを見た時に少し敬遠していたが全然そんなことはなった。当時の光州で実際に起きていたことが、海外や、国内でさえも知られておらず、連絡手段が(軍によって)遮断された都市に、ドイツ人が単身乗り込んでいく。その緊張感がずっと維持されたままストーリーが進んでいくドラマチックな作品だ。
すさまじい緩急で、光州に入ってからずっとどの場面でも見ていてハラハラするのだ。
この映画でマンソプ演じるソン・ガンホは韓国で最も有名な俳優で本当に演技がうまい。『グエムル -漢江の怪物-』や今作のようによく笑いよく不機嫌になる映画の韓国人らしさが前面に出せたり、『スノーピアサー』や『パラサイト -半地下の家族-』のように何を考えているのかわからないつかめないキャラクターも出せる。かつどの役でも何かを起こしそうな激情を心に秘めているのが垣間見える。
言葉の通じないドイツ人のピーターとの会話がズレつつもうまくいってしまっている二人の行動はあまりに危なくて綱渡り的要素を感じ、それもこの映画の緊張感を醸し出すのに役立っているのだろうと思う。
加えて光州とそれ以外の場所では、映像の印象も異なって戒厳令下の恐ろしい雰囲気と対比させられる。
必死に死線を潜り抜けつつピーターとマンソプの二人は光州を見て何を想っていたのか。
僕たちは、何かを必死に見ようとしているか。
ぼくのインターン -映画『マイ・インターン』-
みなさんインターンシップって行ったことありますか。
企業とかに行って実際にその環境で働いてみるという、アレ。
昨今はもう学生とか就活生には当たり前のものになってるやつ。
かくいう僕も、学校のカリキュラムの一端でインターンシップに行ったことがある。
19歳の時の夏休みに2ヶ所、一か所が某研究機関、もう一か所が霞が関の某お役所。
結構いろいろとやらせてもらえてとっても楽しかったし二度とできないくらい貴重な体験だったのはそうなんだけど、まぁ、ぺーぺーなのでできることにも限りがあって。正直にいうと居眠りをこくぐらいには、ヒマだったり単調な業務が多かったわけであると。
それと、やっぱりもうみんな年上で、仕事をしているわけで。20代はほとんどいないしもちろん10代もいないからなんか別世界で。合計3週間のインターンシップは驚くほど独りで過ごしていた思い出がある。
映画『マイ・インターン』の舞台は華やかなニューヨーク。アパレル企業がシニア・インターン(大学4年とかではなく文字通りシニア対象)を募集。定年退職して毎日をつつましくもどこか物足りなそうに暮らすベン・ウィテカー(ロバート・デ・ニーロ)は募集の張り紙を見て一大奮起。応募して無事に雇われる。社長のジュールス(アン・ハサウェイ)の直属になったベンは若者だらけの社内で、慣れない環境で仕事をこなしつつみんなと打ち解けていくヒューマンドラマだ。
一番気に入ったのは、ロバート・デ・ニーロのなんとも豊かな表情。もちろんロバート・デ・ニーロは知っていたが、この映画の中での顔はすごい。眉をくねらせたり、瞬きを過剰にしてみたり、目尻を大胆に上げてみたり。率直に言って惚れる。気品がありつつも可愛らしくとてもとっつきやすい。ジュールスがやっていたように僕もベンに抱き着きたい。
最近の映画のイメージで『ダーティ・グランパ』の時のデ・ニーロはもっと嫌な感じで、おっさん臭がすごく出てた。こんなに印象の与え方が違う顔を見せられるのは演技力や役作りの努力の賜物なんだろう。
映画全体を通して、どんな風に一人の人間(ベン)が周りに影響を与えていって、どんな関係を築いていくのか、新しくて面白かった。人生の先輩であるベンが、同僚や上司に何を教えられ、何を受け取り、何を教え返すのか。僕らの周りの70代にもこんな人がいるんじゃないかと思わせられる。考え方も生きてきた環境もまるで違う世代同士がフレンドリーな関係を築けるのか。僕らの周りにもそういう70代がいるんじゃないか。
オシャレかつアグレッシブな雰囲気が出る老人の雰囲気に周りまで染め上げられてしまう、そんなヒトが。
意欲的に何かこれまでの日々と違う環境で何かを見つけ出そうと前向きな姿勢で生きる姿が如実にみれて感動してしまった。
しかもおふざけ要素もたくさん。ちょっとした言葉遊びや、アクティブな特別業務に学校で友達とするような恋愛相談。
ああ、ロバート・デ・ニーロさん。僕はあなたが大好きになりましたよ。
序盤、会社の環境に戸惑いつつ、歳の違う周囲からも驚かれる。しかも上司のジュールスから仕事が振られない
それでもベンは毎朝キッチリとスーツを着て出社する。こう言って。
「Let’s make it happen.(行動あるのみ)」
僕はこんな姿勢でインターンシップをやっていたかなぁ。
アジアっていいよね 2020ダナン編②
最近コロナでどこにも行けな過ぎて、アジアに行きたい!
という気持ちでこの前のベトナム(ダナン)旅行のことを懐かしみつつこの記事を書く。
初回はコチラ。
到着日、ベトナムの洗礼を受け打ちのめされた私は、タクシーの運転手に助けられた。
ベトナム人の優しさに触れ、夜が明けてから意気揚々と街に繰り出す。
そんな二日目の旅記。
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2020 2/28 7:30
昨夜遅かったのに、朝早く起きれた。
(おそらく、時差と飛行機での休息のおかげ)
歩きつついろいろ見ようと手荷物を手早くまとめて、町に飛び出した。
とびっきりの快晴。
昨日路地で眠っていたバイクが一斉に動き出したかのように、すさまじい量の交通量だった。
本当に大きな通り以外は、信号機が全然なく(あっても機能していない)、車両・が目まぐるしく動いている。
あまりの交通量と歩道からあふれそうな人の波で、酔いそうなほどの”アジア”感をこの時点で堪能できた。
しばらく歩いていると、ベトナムのおじさん達に捕まった。
以前SNSでも呟いたが、「オマ●コおじさん」登場である。
バイカーのおじさんたちは、「バンコー峠やフエまで一日中案内してやるから乗らないか」と言ってきた。
「歩くのが好きだし、今日はこの辺だけ見るから大丈夫」と断りをいれるが、食い下がる。
途中まで「old palace」や「great view」的なことを言っていたが、アピールポイントが違うと思ったのか急に風俗の話を持ち出してきた。
「メニメニガール」から始まり、知っている日本語があると自慢げにあるオジサンは「オンナ!」とジローラモばりのオンナを披露し、あるオジサンは「オマ●コ!イイオマ●コ!!」と連呼。
日本人が好きなタイプがいるとかなんとか言ってすごく食い下がってきた。
埒が明かないので、最終兵器を持ち出した。
英語で「すまんな、俺まだ童貞だから勘弁してくれや。すぐそこの市場見てくるわ」的なことをやんわり伝えると、「マジかお前、なんかごめんな」みたいな感じになって、去っていった。
・・・・・
童貞にも食い下がれや!!!!!!
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ちょっと歩いてコン市場に来た。
ダナンにある2大市場の一つである。
近づいた瞬間ありえん異臭。
あのタイでも似たような臭いはしたがそれよりひどい。
なんか腐らせたドリアンと川魚の干物の臭いを混ぜたような臭いである。
鼻を覆って入ると独特な構造だった。
一階に雑貨や食品、二階に古着などの衣類を売っていた。
正面入り口からの通路は若干広かったが、それ以外の通路は人一人がやっと通れるくらいだった。
あまりに臭気がすごくてすぐに出てしまった。
あの臭いも、アジアっぽくて好きだけど、吐きそうになったからね。
また歩いていると、別のバイクタクシーが声をかけてきた。
ずっと断るのも気が引けてきたので、とりあえずホテルまで送ってもらうことにした。
すごく爽快だった。
込み合う道をビュンビュンと、ヘルメットもつけずに爆走するなんて日本ではまずできないので、めちゃめちゃ楽しかった。
ついたら、「15万ドン(700円くらい)」という。
1kmもない距離なので、めちゃめちゃぼったくられた。
(後にのった正規のタクシーが5kmで7万ドンだったのを考えるとめっちゃ高い)
おススメだから絶対に乗るべきだが、乗る前には価格交渉をちゃんとしよう。
「もうどこもいかないのか?空港までいくならおくってやる」
とさらに稼ごうとしてきたので、「今日はもうホテルからでないから...」と断って、ホテルに入る。
バイカーのおっさんが消えたのを見計らってまた出かけようと思ったが、ずっとホテル前にいるので、ひとまず部屋に戻って寝た。断りすぎて疲れた。
2020 2/28 13:40
一時間ほど寝て起きたら午後。昼食をとっていないことに気づく。探すとホテルのすぐ横に「コムガーアーハイ」というチキンライスで有名店があったので、行ってみることにした。
コムガー、いわゆる海南鶏飯のような鶏の炊き込みご飯で「Cơm gà」と書く。
ここで一つ面白いことを紹介しよう。
アジアには漢字文化圏という概念がある。その名の通り、漢字をことばに取り入れ、使用記録してきた国・地域を指す。
この文化圏に含まれる国々では漢語として語義や語彙が共通して使われている。
現在、日常的に漢字を用いるのは中国・台湾・日本だけであるが、韓国、そしてベトナムもこの文化圏に属する。つまりベトナム語なのに日本人でもわかる言葉がたくさん存在するのだ。
例えば「男(Nam)」などのように、読みから漢字が想像できる(漢字とベトナムの表記が結び付けられる)ものがたくさんある。
(韓国語でも男は남(Nam)の音。金正男(キム・ジョンナム)とか)
「医師(bác sĩ)」のように「bác sĩ」は漢字では「博士」となるように、若干転じているものもあるが、これらを漢越語といい語彙の6~7割に相当するといわれている。
トイレで「Nam」と書いてあって、「こっちが男か!」と感動した。
こういう文化の共通点はとても面白いと思う。
「Cơm gà」も例にもれず、「Cơm(コメ)」。(gàは鶏の意)料理が想像できる。
めちゃめちゃおいしかった。
野菜の鮮度はともかく、味のしみ込んだライスとプリップリの鶏肉がおいしかった。これで6万ドン(270円くらい)だった。安い。
食後はティータイムである。
あちこち見かけた、「HIGHLANDS COFFEE」というところに行ってみる。ベトナムのスタバ的なコーヒーチェーンらしい。
その場のノリでケーキを二個頼んでしまったが、これにコーヒーを加えて86,000ドンくらい、なんと400円ほどだった。
ケーキは両方とも、日本のケーキにも劣らないくらい正統派で美味しかった。
ベトナムコーヒーはかなり苦くてびっくりした。飲んだことない味だった。
お腹いっぱいになったので、また歩き出す。
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2020 2/28 15:50
どうやらダナンは海が有名らしいので、夕食の店に向かいつつ、沿岸部を歩いてみることにした。
ドラゴンブリッジを渡って東のほうに進む。
途中、何か広場が見えた。
入り口に、ベトナム国旗と鎌と槌の旗が見える。
そこで思い出す、ベトナムはベトナム共産党による一党体制の社会主義国家だったと。街を歩いてても全然そんな感じがしない。(ほかの社会主義国家行ったことないけど)
ずいぶん歩いてミケビーチまで来た。
ただめちゃめちゃに風が強くなぎ倒されそうになるレベルだった。水着のチャンネーや、海水浴に来たグループ、ビーチバレーも行われていて活気があった。
すっごいリゾート感。結局こういうとこが好きなのは出身地が南国だからかなと思ったりもした。
またかなり歩いて、夕飯のお店まで行く。
「バーガーブロス」というハンバーガーのお店に行った。
日本人がオーナーの本格ハンバーガー店で人気があるらしく、観光客でごった返していた。
がっつりアメリカンサイズで、お腹は余裕で膨れる。ベーコンとパティの肉々しいバーガー、うまかったなぁ。ポテトも太く大きい、日本のマックと比べ物にならない。
サイドのパインジュースは半分ラッシーみたいな感じでさっぱりしつつも甘く、味の濃いバーガーにマッチした。
18:31
塩っ気でお腹いっぱいになった。
やはりこうなると、食後のティータイムである。
近くになにやら、フォトジェニックなカフェがあるらしいので行ってみる。
うわあ
めちゃめちゃ綺麗だった...
こんなん日本でも韓国でも見たことないというくらいおしゃれだった。
アイスコーヒーとカヌレを注文する。
なあんだぁ~~?????
おしゃれだな~~~~~~~?????と言いつつ手を付ける。
チョコカヌレはもちもちで、甘すぎずオーソドックスな感じ。美味しい。
コーヒーは「FILTER」と書いてある通り、ベトナムコーヒー。
HIGHLANDSのものと違い、苦みがなくフルーティなコーヒーでとても飲みやすかった。輸入したい。
予定が大体終わったので、ホテルにタクシーで帰る。
ホテルの直下にスイーツ屋があり気になっていた。
さっきカヌレ食べたばかりなのにマンゴーパフェ食べちゃう。
たっぷりマンゴー果肉とホイップクリーム、マンゴースムージーとかき氷が入って200円程度。安くて意味わからんくなってきた。
実はホテルの屋上にはテラスプールがあって、眺めが最高だったのでそこで夜景を見ながらスイーツタイムとしゃれこもうとしたが、清掃時間で閉まっていて泣いてしまった。
スイーツを食べ終わり今度はお土産を買いに、またホテルのすぐ下にある雑貨屋に転がり込む。外観が小ぎれいで、午前に一度物色してよさげなものがあったので、また来るつもりで閉店時間を確認しておいた。
するとなんと、従業員のお姉さんが床に広げた皿を囲んで友人らとめちゃめちゃご飯を食べていた。
営業時間だったので少々びっくりして「またあとで来ます」というと、「ごめんごめん大丈夫だから買いたいものを教えて」と言ってくれたのでお土産を買ってそそくさと申し訳なさげに退散した。
なんかあの、日本で(というか先進国の都市部で)はみないようなゆっるい光景に出くわせるのはとても面白い。接客なんてこれぐらいゆるくてもいいのにと思う。
買ったのはこれ。
アボカドのキュートなぬいぐるみ。妹へのお土産。
店に入ったときに見て、この柔和な笑顔とアボ̚カドのフォルムを活かした可愛らしさに一目惚れしてしまった。
しかしこいつスーツケースにあまりにも入らない。
アボカドのフォルムのせいで厚みがあり曲者になってしまった。
バックパックに何とか入ったので、翌日のチェックアウト以降はこの状態で運搬を試みる。
この後、ベトナムの別地点にいるメンバーと電話して、寝た。結構歩いたのでぐっすりだった。
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2日目、めちゃくちゃ食ってばかりだった。
しかし、なぜかわからないけど、全然腹出ない。
炎天下を長時間徒歩移動すれば何を食べても太らないのであろう。
この日のベトナムめっちゃ楽しい。
ダナンに住んでやろうかと思ったくらいだった。
物価は全体的に休めだしご飯は美味しいしである。
ただ一人で歩いていると、バイカーにめちゃくちゃ声かけられるのでそこはちゃんと断ろうと思った。
楽しかったなあ、ベトナム。
アジアっていいよね 2020ダナン編①
アジアは良い。
とても良い。
旅行に行けない最近はとみに思う。
アジアっていいなぁ
って。
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具体的に伝えるのが難しいが、なんといおうか。
急速に成長したあまりに先端的でモダンな、街並み。
その大きな街並みの間を這うかのように見せる、露店や雑多で猥雑な雰囲気の小路。得体のしれない食物。
入り乱れる漢字・ハングル・タイ文字・クオックグー。
ありえないくらいモノと生き物の密度が高く、どことなく命の危険を感じるような未知の雰囲気がある。
もちろん日本もアジアだが、東京や大阪などの各都市にはない顔。(しいて言えば沖縄の市場が一番近いが)
モダニズムと経済拡張で発展したオフィス街と、そんな特区に置き去られた半世紀ものの屋台街とが混在している様があまりにも好きなのだ。
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去る2020年の三月にベトナムに行った。
もともと行こうと思っていたわけではなく、某研究室の卒業旅行に誘われた形だった。
私は受験期に「進路が決まったら(=東北大に受かったら)、韓国に行く!」という褒美をチラつかせて勉強に励んでいた。
というわけで、この旅行では(大学に受かったので)韓国を経由しつつ、ベトナムに行く旅程にした。そのため、ほかのメンバーとはベトナム現地合流予定で一人旅をした(後ほど書くが、結果的に全行程一人旅になる)
詳細はこの記事↓↓↓
この旅行までの二回の渡韓で、韓国があまりに気に入りすぎていたのでベトナムをなめていた。
めちゃ楽しかった、感動しました。
ということで、パンデミックで国内の移動もままならない今、あの素晴らしい南国の経験を記憶から引っ張り出して味わいなおしつつ、ベトナム旅行の記事を書く。
今回はその①。
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2020 2/28 0:25
韓国ソウルから韓国LCCのJin Airでベトナムはダナンに入国した。
(Jin Airが最高だった。)
ダナンは中部最大の都市でハノイ、ホーチミンについでベトナム第三の都市である。海に面しているため、港湾都市として発展したそう。
LCCを使ったおかげで、3,000km5時間のフライトが12,000円である。(安い)
値段優先のため、深夜便だった。
空港についてロビーから外に出るとタクシーが全然いない。
いわゆる白タクはいたものの、いくらぼられるかたまったもんじゃないと、ホテルまでの距離2km強を歩くことにした。
空港から直線の大通りをまっすぐ進んで曲がればすぐつく簡単なルートだったが忘れられない。
めっちゃつらかった。。。
精神的にも肉体的にもである。
まずこの2月下旬でもベトナムは暑い。
この日も夜だというのに、気温は28℃。海に面す港湾都市であるためか湿度も高かった。
26日から滞在していたソウルは、10℃前半から最低気温は1℃。
緯度の差20°で、暑さにやられそうになった。
二つ目が道路事情である。
タイもそうだったが、まず汚い。
ネズミやゴキブリがたくさんいる。プラゴミも生ごみも落ちている。臭い。
そして、「工事中か?」と勘違いするほどアスファルトやタイルがはがれていたり、実際に工事中だったりする。
しかも電灯が少ない。目抜き通りなのに全然街頭がなくて暗い。
暗いから、足元に何かいてもよく分からず、急にこちらにカサカサと何かが這いよってきたりするのである。
露店がたくさんあることや、(日本と比べると)緩い公共サービスの賜物である。
このせいでスーツケースを引くのがつらい。というか引けない。
だから力づくで普通に持ち上げて歩いた。
最後に生き物である。
ベトナム中部で深夜帯にひとり、オレンジ色のスーツケースを重そうに持って汗だくで歩く日本人はなかなかいないせいか、屋台にいる現地人やすれ違う人々がこちらを凝視してくる。(これは仕方ないが)
視線がつらい。
言葉が通じない国の人々がめちゃめちゃ見てくるの怖すぎるが???
早く人のいないところへと急いで、どうにか角を曲がって脇道に入った。
本当の恐怖はここからだった。
先ほどより小さい歩道には屋台と違法駐車のバイク・車が所狭しと並んでいる。
そのため、車道を歩くしかない。
車は通るから危ないし、こんどは人がいなさ過ぎてヤバい雰囲気しかない。追剥にでもあえば成すすべなくすべてを取られる。
一匹の犬がいた。
黒い、少々痩せこけているがしっかりとした体つきの犬が。
こいつがついてきた。
明らかにロックオンされた。狙われている。
何を食っているかわからない野良犬にかまれて旅先で狂犬病などたまったもんじゃない。
走ると全力で追いかけてきた。本当に咬みにくる勢いだった。
200mほど全力疾走して埒が明かないと思い、犬がこちらに近づこうとしたときにスーツケースを振り回したらなんとか間合いが取れた。
本格的にヤバいと思った矢先、後方からクラクションが聞こえ犬が逃げた。
白タクの運転手の青年が声をかけてきた。
「こんなとこでなにしてんだ?危ないぞ」
タクシーがおらずホテルまで歩いていたことを伝えると
「わかった、とりあえずこの時間だから乗りなよ」
といって荷物を入れてくれた。
正直正規のタクシーじゃなかったから不安ではあったが、暗闇と犬からとにかく逃げたかったらしい。乗ったら安心感で目が潤んだ。
無事に届けてくれたので、「いくら払えばいい?」と聞くと、
少し考えこんだ後に、「いらないよ!」と言ってくれた。
ぼったくられてもいいやくらいに思っていたので、あまりに突飛に感じて慌てて何度も「いや本当にありがたいから、払うよ」といったが、受け取ってくれなかった。
ありがとう、タクシーの運ちゃん。
ホテルの入り口に向かうと、電気が消えていた。おまけにドアに鍵がかかっていた。
チェックイン開始時刻は当然のごとく過ぎているため、「やらかした、野宿か?」と思い再び絶望しかけた矢先、暗闇の館内から人が現れて開けてくれた。聞いたら防犯の為だった。(それはそう)
部屋に通されて、クーラーとテレビをつけたら疲れがどっと襲ってきた。
シャワーを浴びてベッドの入ったらすぐ寝てしまった。午前2時頃だった。
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こういう感じでベトナム初日の印象はかなり最悪だった。
あと街にめちゃくちゃハングルがあった(韓国人がめっちゃ来るらしい)ことも相まって、テコ朴の「アジア最先進国韓国」発言を一瞬信じかける。(嘘)
しかしタクシー運転手のの優しさに触れ、ベトナムの人優しっ!ってなったので翌日以降の旅にも期待が高まる~~~~。
ということで次回に続く。
生活態度:非常に良い
なんでこんなに自分は悩んでしまうのか。
さっぱり、皆目見当がつかない。
新入生名なのに、コロナウイルスのせいで大学の壮大な敷地に入れない。
安くて美味しい(であろう)学食や、自分が人生で使ってきたお金よりも高い実験施設にこれっぽちも関与できていないのである。
それはそうだ、始まったばかりで機会があまりにも限られているんだからこれは至極当然だ。
なのに、なのにだ。
「大学院はどこにいこうか」「専攻は何にしようか」「就職はどこがよくてそのためには何が有利なんだ」ということばかり考える今日この頃である。
意味が分からない。
高専にいるときもそうだった。
「進学するならどこがいいか」「どういう授業をとればいい成績が残せるか」。
本当に悩んで考えてばかりだ。
約束された将来なんてないし、あるポイントで決めた人生設計がその通りにいくことなんてありえない。すべて自分が考えていた通りに行くなら、ケツに毛が刺さって在学中に2回も入院するなんていう企画を人生に盛りこむわけがない。
ただそのおかげで「カテーテル」を知ることができた。あれは不思議なもので、まったく尿をしている感じがない。自分の意識と関係なく気づかないうちに尿が出ている。一切の尿意を感じなかったのに、尿瓶を取り換えてもらうともう溢れんばかりである。あと抜くときもスゴイ。
カテーテルはどうでもいい。なぜこんなに先のことばかりに気を取られるのか。
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おそらくは、ずっと「イイ子」でいるのが、自分の至上の達成点であり続けたんだろう。
小学生の時からイジられるキャラだった。
今、別にそれが嫌とかではないが(むしろ感謝しているが)、小さいときの自分は器が大きくなかったし、大人ぶって割り切ることができなかった。
だから"そういう"奴らを見下していたんだろうと思う。
図書館の本をなくした?バカなやつだ。
なんで牛乳ぶちまけるんだ??アホなのか?
ガラス割るとか迷惑かかるのがわからないのか?
どいつもこいつもバカばかり。なんで見つかるような悪さをするんだ??
こんな下衆な奴らと一緒にされちゃ困る。生きてるステージが違う。
都道府県を全部覚えているとか、親の本棚にしかないような本を読んでいる自分は周りよりちょっとばかし賢いのだろうと自負をして、"あんな奴ら"とは違うということを先生に見せつけようと掃除をマジメにやったり生徒会をやったりした。
小学生にしては歪な人生観だ。自分が担任だったらこんなやつと関わりたくない。
結局それからも、「見栄」を気にして生きてきたんだろう。
どうすれば怒られないのか。どうすれば良い人生が送れるのか。
背筋を伸ばして一生懸命に聞くフリをして、漢字を使って自分の価値感0の見た目に小難しいことを論じた感想文を提出していればオールオッケーだった。
小学生の時、あいつらと差別化を図ったのをキッカケに、体のネジを締め上げてできるだけ優等生に見えるような、見てくれはシャキッとした、でもカクついた生き方を(無意識のうちに)してきたのだろうと思う。
ここ2年くらいはそれが悔しい。ガラスを割る、休校日に侵入して鬼ごっこをする、校長室に牛乳を投げる。エキサイティングだ。愚直な人間には到底できたもんじゃない。こんなことはもうないのだろうに、してこなかった自分に腹が立つ。
そういう面白い、ここまでのエピソードとこれからの発想が今現在まるで欠如しているように思う。
「青春時代にさまざまな愚かさを持たなかった人間は、 中年になってからなんの力も持たないだろう。」J・A・コリンズ
この通りじゃないか。まるで魅力がない。
一度、悪いことをしてみてはどうかと、就職説明会をサボった。
「サボってやった、さぞかしスカっとするだろう」
まったく気持ちよくなかった。それどころか不安と自責の念が降りかかってくる。
20年そういう生き方しかしてないから、こういうのに慣れていないのだ。
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かくして今もできるだけ安パイを取ろうとする人生を送っている。
大学の授業を受けているが、人文科学系の授業がもう面白くて仕方がない。
専攻の授業よりも、文学部の教員が担当する授業が万倍と思考を巡らせて楽しむことができる。
理系に足を踏み入れた理由(高専に来た理由)はまたいずれ話すが、もともと国語とか社会科が大好きな人間なので、根本的に自分の持つ感性が理系は向いていない感じがする。
どうしよか、そろそろ道を踏み外して(?)好きな勉強をして大学院は韓国専攻を狙おうか。出版社でことばに一生関わろうか。
世の中的に言えば、「とりあえず自分が今いるフィールドで、一番興味があるものに注力する」のが常識ある、尤もらしい、賢く且つ評価される選択肢だ。
だけど、そろそろ、なにか短編小説の二・三本を書くには困らないくらい生物学の知識もついてるんじゃないだろうか。いつまでもイイ子でいるのもいい加減疲れてくる。
今から、どうしようか、文章でも書いてみようか。
最高にエキサイティングな日韓比較文化を年50万つぎ込んで、修士でもとってみようか。
ああ、あの時に、肩ひじ張らずに、バカなことをいっぱい楽しんでやればよかった。